三日月代表のブログ

「君の悩みなんて宇宙と比べたらちっぽけだよ」という言葉の「宇宙」の違和感

自分の周りで何かに悩んでいたり落ち込んでいたりする人はいるだろうか。そういう人がいたら、君たちは元気づけるための言葉をかけてあげるだろう。

「今のままで大丈夫だよ。」とか、「つらかったね。頑張ったね。」とか。

その場に応じていろいろ元気づけるための言葉をかける。

こういった言葉の中で、

「君の悩みなんて宇宙と比べたらちっぽけだよ!」

というものがある。

僕はこの言葉に元気づけられた事が一度もない。誰が言い始めたのか知らないが、そいつに物申したい。

なんで悩みと宇宙を天秤にかけなければいけないのだろうか。いきなり宇宙と比べようとしても、宇宙は身近なものじゃないし、創造が追い付かない。この言葉で救われた人がいたら、想像力が豊かな人だと感心してしまう。

あと、いきなり宇宙と言ってくる時点でなんか胡散臭い。宗教臭い。聖書の言葉に「宇宙とは、我々の悩みよりも偉大なものなり。」とでも記されてあって、宗教家が広めた言葉なのであれば、それはもう仕方がないけども。

ただ、全く悩みが解決されない。

大前提として悩みは見えないし大小じゃ表せられない。宇宙という壮大なものと比べたのなら悩みがちっぽけになるという考え方がおかしい。悩みというのは、人の体の大きさを上限としているのだろうか。それならば子供の悩みのキャパシティは小さく、大人の悩みのキャパシティは大きいということになる。そんなわけないのだ。

百歩譲って、もし「君の悩みなんて宇宙と比べたらちっぽけだよ!」という言葉が大小に関する悩みに使えたとしよう。

背の低い友人が「僕、みんなより身長が低くて嫌だな。」と言えば、

僕は「身長なんか宇宙と比べればみんなチビだよ!」と答える。

彼女が「私、おっぱいが小さいのが悩みなの。」と言えば、

僕は「おっぱいなんか宇宙と比べればみんな貧乳だよ!」と答える。

どれだけ的外れな言葉かがよくわかる。悩みの解決を放棄している。しまいには彼女に別れを告げられるだろう。

こんな言葉じゃ悩みは解決できないのだ。

そうとわかればこの言葉を変える必要がある。もちろん宇宙という言葉だ。

悩みという大小じゃ表せられないものと比較するのなら、比較対象も同じにする必要がある。

例えば、愛だ。

自分自身の事が嫌いで嫌いで仕方がない彼女がいたとしよう。

そんな時、「君の自分自身に対する憎悪なんか僕の愛に比べればちっぽけだよ。こっちにおいで。君の心を僕の愛で埋め尽くしてあげよう。」と答えればよい。

余分な言葉が入ったが、比較対象としては違和感はない。彼女の悩みも解決する。

こんな要領で宇宙という言葉を大小じゃ表せられないものへ変換していけばよいのだ。

しかし、悩み返しだけはしてはいけない。

「君の悩みなんて僕の悩みと比べたらちっぽけだよ、、、」となる。

変な空気になるから。